二十七年八月二十五日、八十六才で犬養千代子刀自は、永眠されました。

四谷見附のイグナチオ教会のお葬式に、参列された夫人たちは、悲しむよりは、犬養未亡人の葬儀らしくない、何かちぐはぐな感じで、お互に変な気持でありました。

二十九年五月十五日午後二時、寛永寺に於て故犬養毅先生の二十三回忌の法要を営むといふ通知をうけました。
二十三年前の五・一五事件は、日本敗戦の序曲であり、政党政治の最後でもありました。

日本歴史に急激な変革が行はれました。単純に迎へる二十三回忌ではないと思いました。
不気味な底流を度外視すれば、昭和七年から十二年の日支事変ぼっ発までは、日本帝国の最後の繁栄を云ひますか、大衆にはまことにのんきな時代、散る前の花の華麗さ、灯の消えなんとする前の輝き、表面は悦楽の時代でありました。

十六年の大東亜戦争に突入してから十八年までは、虚報の戦勝を信じて大衆は戦時意識高揚の中に、力み返って、「欲しがりません勝つまでは」と涙ぐましい生活に耐へてゐました。
十九年二十年と劇しい空襲下に、生死のきびしさの中で、心底から苦労させられました。

二十一年から二十三年までは、敗戦国の国民として占領に依る物心両面の重圧下に、大衆は苦労を重ねましたが、再建の意欲は力強い底流となってゐたと思います。

やまとなでしこ
御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。