結果は良好で、清和会はお見舞いとして、電気スタンドを差上げました。
「塩原さんに電話かけて、あの人が気をもむから・・・」と未亡人がうわ言を申されたと、若夫人より聞かされました。度々お見舞いに行ってをりましたが、二十一日は無事退院されました。
昭和九年二月二十一日、熱海の別荘にをられます未亡人に、二ヶ月ぶりでお目にかかりました。そして二十四日には一休庵の普茶料理を未亡人と、若宮定尾御夫妻と共に会食いたしました。
私は一週間ほどで帰宅しました。三月一日に日本橋宝町の小田原屋から、甘酒の樽を熱海の未亡人宛に送らせました。
御後へ紡いでまいります・・・
※ 原文のままの文字使いを使用しています。
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