政友会や民政党にはその頃の委員長としての私の働きを記憶して下さる代議士の方々もありました。そんなわけで田中義一内閣の時代から、水野錬太郎夫人や鳩山一郎夫人には委員長として特に親交を得て、婦選運動のためには水野夫人の陰の援助は大きな力でした。

やまとなでしこ

昭和4年の秋、湯河原の天野屋に御滞在中の犬養総裁を訪問して、2時間余も婦人公民権に対する婦人の要望と婦人界一般の現状を申上げた結果は、犬養総裁の力強い御助言と政務調査会長山崎達之輔氏の御尽力に依り、政友会は民政党に先んじて立派に党議として婦人公民権を可決して、婦人に公約したわけです。

もっとも4年の春には大多数の賛成を得て通過しようとした婦人公民権案も、望月内相の時期尚早という事で握り潰しにされました。5年の春には参議院を通過し不完全ながらも、次回には政府案として提案されるという事になつたので、私の5ヶ年間の奉仕にも一区切りを感じて、闘志として第一線から退き、明大女子部法科に通学する事になりました。

御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。