私は、婦選獲得同盟の役員を辞任しました。そしてすぐに明大女子部法科の聴講生となりました。その挨拶状を各方面に出しますと、間もなく、水野錬太郎夫人から白金猿町の自邸に招かれました。そして慰労の食事を、御一緒に致しましたとき、「貴女を学生だけにしてをくのは惜しい。かねて貴女から聞かされてゐたことを、具体的に進めてはどうなの、それには鳩山夫人とじっくり相談されては・・・」と申されました。

それは、田中義一内閣時代から、内相水野錬太郎夫人や内閣書記官長鳩山一郎夫人には、議会運動の委員長として、度々陳情にもゆき、婦選問題に深い理解をもたれてをられるお二人に、特にお親しくされていただいてをりました。

それに私の父は北海道函館で和洋酒問屋を手広くしてをりましたとき、政友会の内山太吉代議士を支持して資金面を持つほどで、父は政友会函館支部の看板をかけてをりましたから、私までが政友会には、特に親しみを持ってをりました。

「婦人に深い理解を待たれる犬養総裁の下に、夫人たちが結束されて、今後の夫人の政治的進出—参政権、公民権獲得、にも女の立場から、働きかけるべきでありましょうし、御主人たちが婦人に理解がおありになるのに、その陰にあって夫人たちが、女の重要問題に無関心であることは、眞の政治家の夫人ではありません。結束するためには、会を創立して、その機関に依りお互に社会のことを広く見聞され、特に婦人問題について学ぶべきであると思います」

といふような意味のことを、水野・鳩山両夫人にお目にかかる折々にお話してありました。

御後へ紡いでまいります・・・原文のままの文字使いを使用しています。

やまとなでしこ