大正13年に入会した婦人参政権獲得期成同盟では、議会運動部の若き委員長として、大正15年から5年間にわたり活躍した。
同盟退会後は、社会人としての自立を目指し明治大学に入学。法律を学ぶ一方で、犬養毅夫人千代子を会長に、生涯の盟友となる鳩山薫とともに、政友会議員の夫人たちを結集して清和会を創設する。

昭和8年に明治大学専門部法科を卒業後、昭和14年には東京地方裁判所人事調停委員への任命を受け、昭和32年には日本調停協会連合会理事に就任して、女性の社会的自立を実践した。

他方、鳩山薫が会長を引き継いだ清和会においては、40年間にわたって常任理事を務め、保守系の有力な女性たちのネットワークを支え続けた。

経歴をたどると、アメリカ人女性のような強い女性のイメージが先行するが、今から御紹介するコラムは新聞に掲載されていたものである。静さんの凛とした中にも、日本女性らしい厳しさと優しさの両輪を見ることが出来ます。

御後へ紡いでまいります・・・

※  原文のままの文字使いを使用しています。

やまとなでしこ