四月二十三日(土)朝九時半に日本間にゆきまして、首相夫人や若夫人と清和会の相談ごとをすませました。仲子夫人は秘書官邸にゆかれましたので、中食は御夫妻と私の三人でした。食後すぐ夫人は食堂のとなりの居間にゆかれましたので、食卓では首相と私だけが、食後の果物を食べてをりました。
「大先生、代議士の方々は、銀座のサロン春にゆかれて、とても面白かったとお話を聞きました。 交詢社の地下にありますサロン春は銀座でも一流のカフェーで、裾模様の女給が二十五人もをります。去年のクリスマスにゆきましたとき、私にミニヨンダラーを飲ませてくれまして、女の私にもチヤホヤ相手になってくれます。美人たちに女でもみとれてしまいますから、男の人なら毎晩でもゆきたくおなりだと思います」などと」、のんきなお話を致しますと、
「フーン塩原さんも行ったとは、なかなか隅にをけないネ、わしも一度行ってみたいな」とおだやかなお顔で、気らくに申されましたが、お眼は遠くを見つめられて、深く何かを考へをられるように、お見うけしました。…
私はカフェーの話など、のんきなことを申し上げたのが、はづかしくなりました。それで早く辞去しなくてはいけないと思いましても、なぜか席をはなれがたく、しばらく黙ってをりました。
「あの・・・」と云って、お顔を見ますと「うむ」と云はれました。
お眼が、なんでも云っていいんだよ、と慈愛深く私をごらんになてをられました。
「あの・・・政治って、大きくて深くて、むづかしくてわかりません。政治といふことは」。
「うむ・・・政治・・・むづかしいな・・・貧乏人をなくすことだ」。おだやかなお声の中に、ピンと張った力が込められてをられると思いました。
「貧乏人をなくすことだ」。自分の胸に一字一字を彫りつけるようにくり返しました。
木堂先生は夫人参政権を実現して下さるし、沢山の貧乏人も救ってくださる政治をなさる大切はお方なのだ。どうぞ長生きして下さるようにと祈る気持ちでありました。
御後へ紡いでまいります・・・
※ 原文のままの文字使いを使用しています。
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