五月九日(月)午後三時、首相公邸にはじめて母が参上しましたとき、応接間までわざわざ首相御夫妻と仲子若夫人がお出ましくださいました。やさしくお言葉をかけて下さいまして、母は感謝してご挨拶を申し上げました。官邸の内部、お庭、公邸の室などを拝見させていただきました。
私にはこの日、お目にかかりましたのが、生前の犬養首相との最後となりました。
この日が永久のお別れでありました。

 五月十五日

その日は休日で、母は外出、私は茶の間で女中相手に夕食をしてゐましたところ、森ノブテル夫人から電話で、「今、銀座ですが、犬養首相が撃たれた号外が出たと聞きましたが、早く調べて下さい」と云はれました。

すぐ電話しても、鳩山邸はお話中でかからないことも、不安をつのらせました。ともかく急ぎ着替えをすませました六時すぎ、鳩山邸から電話で、「只今、奥様は首相官邸にゆかれ、塩原様にもすぐおゐで下さいと申されました」と執事の声でした。

電車通りまで駆けてゆき、円タクにのりました。溜池から坂を登ってゆきますと、剣付鉄砲の兵士たちが、ものものしく警戒で、自動車の列が坂をふさぎ、途中で車を降りました。
横門の鉄扉は閉されて、兵士がかためていました。人群れをかき分けて、やっと門に近づきましたが、入れてくれません。鉄扉の内も大勢の人たちでした、。折りよく扉のそばを健氏秘書の土屋君が通りかかりましたので、「土屋さん」と大声でよびました。

 

御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。