虫干の度にその当時の台付けの波や貝形など、まだ緋色もさめない総鹿子絞りの布や、羽二重の小さな足袋などが出てきますと、母はなつかしそうにして昔話をくりかえしました。

父は政治道楽にかなりな冗費をしたようで、商家でありながら、政友会函館支部の看板をかけて、代議士選挙が始まると、内山氏を後援して、西園寺公の額が掛 けてある、五十畳敷ほどの店の二階が政友派の演説会場になります。政友会本部からは、元田肇氏大岡育造氏その他の幹部が東京から応援に私の家に出張されま す。

ことに義太夫の大好きな大岡氏に父はよく聞かされもし、写真なども一緒に写したりして諸氏ともお親しくなりました。商売は休業状態で、人の出入りが激しくなって朝から料理屋の御臍籠が入り、店先には人力車がいつも二十代くらいは列んでゐました。

そんなことで小さい時から、選挙だ、演説だと、いう事を見聞させられていました。

やまとなでしこ

 

父 が大切にしていた自慢の西園寺公の大きな額は、函館の大火に惜しくも焼失しました。一人っ子の腺病質の私は、大切にされすぎて抵抗力のない、いつも咽喉ば かり悪くして首に絹半巾を巻き通しているような弱い子でした。

けれどもお稽古ごと(踊りお琴長)にも学校にもよく精を出した几帳面な小学生でした。鈴蘭の 野、リンゴ林や湯の川温泉、臥牛山に巴港など美しい夢として、函館にはいつまでもかぎりない愛着を持っています。
 

 

御後へ紡いでまいります・・・
※ 原文のままの文字使いを使用しています。