鳩山夫人には、田中内閣の時代に夫人たちの結束の必要を、痛感されてをられながら、その機械が得られなかった、といふこともわかりました。
それで水野夫人の提案に大賛成されまして、そのため鳩山夫人と私とは度々面談しまして、具体案の研究を進めました。

水野夫人は積極的で「犬養総裁とは面識のある貴女ではあっても、改めて私が、犬養夫人に紹介しますから、進言なさったらいかが」といふことになりました。
昭和5年12月9日、夕方に犬養邸から、お招きの電話がありましたので、水野夫人のご紹介状を持って、参上いたしました。

奥の日本間で、千代子夫人に、初対面の御挨拶をしますと、「私は犬養の家内で」と申されたお声が印象的でありました。

健夫人仲子様と三人で夜食の後、要談は5時間ほどですみ、車で送られて帰りました。

12月10日には、水野夫人に報告をかねて参上、2時間ほど要談をいたしました。

12月11日には、各校の帰途を犬養邸にゆきまして、犬養夫人、水野・鳩山両夫人と4人で夕方5時まで相談打ち合わせを済ませました。

12月12日(金)

やまとなでしこ

赤坂山王の星ノ岡茶寮に於きまして、犬養総裁夫人の招宴には、前閣僚であった、中橋徳五郎、水野錬太郎、床次竹次郎、勝田主計、山本悌二郎、三土忠造、久原房之助、川村竹治の諸夫人でありました。
水野夫人より私を御紹介下さいまして、鳩山夫人は私の介添役をして下さいました。

犬養夫人は会の創立について、くわしくお話になられました。そして出席の各夫人を・・・

欠席の前田米蔵夫人も共に・・・会の顧問として御援助を願はれました。各夫人は快よく賛成なさいまして、総裁夫人の決起を非常に賞賛されました。

  御後へ紡いでまいります・・・

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