夫人の居間に入られました新首相と、千代子夫人の真中に愛孫道子サンが、可愛い眼を輝かせて座られ、私と仲子若夫人が、新首相の左右の肩越しに、左記の夫人たちと共に、新聞社のフラッシュをあびました。
そしてシャンパンで乾盃でした。
砂田、太田、星、星島、植原、喜多、坂井、鷹居の各夫人たち、同室におられましたのは、鳩山、秋田、松野、猪、野毛、若宮、野田、鈴木、滝、金光、清瀬、土倉、本田の諸夫人たちでした。
組閣は奥二階の日本間でありました。
健氏が庭の裏木戸から、ソッと外出されますのを見たのは私だけでした。
奥二階の裏階段を、頭から毛布をかぶり、誰かわからないようにして、ソッと厠に下りてこあれましたのは、古島一雄氏でありました。徹夜にわたる組閣工作でありました。

十二月十三日午前八時に犬養邸にゆきました。喜びに眠れなかった人々の顔ばかりでした。午前九時の親任式に、新首相として参内されます犬養総裁を、玄関にお見送りしました。
昨夜乾盃のあと、相談してありました清和会からのお祝品を買いに、秋田金光の両夫人と共に、小雪降る中を日本橋の象彦へゆきました。「黒塗、撫子の貝入、喜三郎火鉢一対」を金九十円で求めました。
そして火鉢の底に「御祝清和会」と朱書させることにしました。
お祝品がどしどし持ち込まれます内で、国民党以来の熱心な支持者であります京橋の尾後貫、鈴木の両家から、四寸樽の上に、やっとのせるほどの大きな紅白のお祝餅が、届けられ玄関に飾られました。玄関先には、四寸樽がつまれましたし、家の中には、十本入の清酒の箱や、ダース入のビール箱、洋酒類、それに篭入紅白のブドウ酒、にんべんの鰹節は青竹の篭入や、目出度い模様の塗箱入等々、置場に困るほどでした。縮緬細工の日の出や大鯛の飾り物は、まるで結納の祝品のような華やかさで、お座敷の床の間に列べられました。

やまとなでしこ

 

御後へ紡いでまいります・・・

※  原文のままの文字使いを使用しています。