昭和七年一月九日(土)昨八日正午頃、桜田門外で不敬大逆事件突発のため、昨夕犬養内閣は総辞職を決行なされましたので、お見舞いをかねて朝十時に首相公邸日本間にゆきますと、首相夫人仲子若夫人・鳩山夫人もをられまして、御一緒に泣き出してしまいました。


宮中より帰邸されました首相より、「有り難き優諚」を拝されましたことをうかがい、三夫人も共に新たな感激の涙でありました。そして内閣の再降下もわかりまして、鳩山夫人と同車してかへりました。


一月十一日(月)午後五時、公邸日本間で首相夫人鳩山夫人と「清和の年始を再会するか否や」を協議しました。私は中止説、鳩山夫人は再会説、二人は互にゆづりませんでした。
そこで首相秘書官の健氏の御意見をききますと、中止説であり、首相夫人も中止に賛成され、清和会の年始会は中止にきまりました。そのあと、首相としての木堂先生(犬養毅氏)と御一緒に、食堂の椅子で夕食を戴きました。


二月二十一日、朝十時に鷹居文徳夫人(首相の令姪)と共に、首相官邸の向側の外相官邸にゆきまして、芳沢外相夫人(首相令嬢)と初対面の挨拶をしました。佛国大使として、永く巴里にをられた操夫人と、二十分ほど内外の情勢について、お話を致しました。
公邸日本間に戻りますと、刻々と各地より総選挙の情報が入ります。東京第二区は本郷小石川神田下谷浅草京橋日本橋で、最高点で当選されました若先生健氏と、首相御夫妻、仲子若夫人それに私もご一緒にお祝ひの食卓につきました。

その席上首相に私は「比例代表制」について、御意見を聞かせていただきました。首相夫人は真剣なお顔で、「この次の選挙までには女も投票の権利を貰はなくては困ります」と云はれました。
午後には鳩山御夫妻もこられまして、各地の状況について賑やかでありました。政友会は当選者三百余名でありました。

「少し取りすぎたな」と首相はつぶやかれました。

御後へ紡いでまいります・・・

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