畳廊下の夫人たちには、「氷をこまかにくだいて、一寸丸ほどの氷袋を沢山作って下さい」とたのみました。持ってこられる氷袋は氷が大きかったり、袋の口の紐が長く下さっていたり、氷は細々と砕かれてゐても、袋の口があまってブラブラするなど、さまざまで病院にはこびますと、芳夫人は「これじゃ役に立たない」と苛立たれました。
「酵素吸入も、アルコールも不足してきたから、早く四谷の灰吹屋に電話して」と云はれましても、電話は官邸の方で全部してをりまして、どうにもなりませんでした。そこで私が灰吹屋にゆくことになり、注文の品書を持って廊下にをられた太田正孝夫人と通用門を出ました。
そこにズラリ列んでいました自動車に、「薬屋に急ぎの用ですから、どなたか車を使はせて下さい」。大きな声を出しますと、目前の新車がすぐ乗せてくれました。
戒厳令のしかれた帝都の夜景は何か不気味に思はれました。

氷袋のことで、病院と畳廊下を往復してゐましたとき、森ノブテル夫人から、「総理の奥様はあのとき、官邸のどこにをられましたの、よくお怪我をなさらなかった」。
「あのときは、帝都ホテルに四時の結婚披露宴に出席されてをられました」。
「官邸にをられなくてよかったですネ。あのとき総理の護衛はどうしてゐたのです」。

 

御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。