「おかあ様をひおひとりにしてはいけないわ。誰かおそばにおつきしてゐて下さい」と仲子若夫人はそう云って、私と顔を見合わせました。
「お気をつけた方がよろしいわ」と小声で私が云ひますと、仲子夫人は深くうなずづいて、台所の方へゆかれました。
大きな衝撃の渦の中に投げ込まれたような千代子夫人の御心情を思いますと、ソッと独りにおさせしてあげたい、声を出して泣くことさへ、がまんされてをられる、おつらい立場がお気の毒でなりませんでした。
けれども「千代子夫人が、若しや殉死でも」といふ疑念を、近親の方々が持たれるほど、婦人のただならぬ御様子でもありました。
「しばらく、独りで居たい」と云はれましても、心配されるお身内の誰方かがお付きしました。
それからしばらくして、「自殺はしません。髪を切って下さい」とおっしゃいましたとか。

そして数珠を手にした、千代子未亡人は切り下げの喪服姿になられまして、静かに畳廊下を、御遺骸の安置されてあります十五帖の首相のお居間にゆかれました。

御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。