八月二十二日午後二時、上野寛永寺、寺中の津梁院で故犬養首相の百ヶ日忌の法要には、水野、山本、高山、植原、砂田、鳩山、秋田、安藤、古島、板野、山下の諸夫人と同席いたしました。


政友会総裁鈴木喜三郎氏に、鳩山夫人は「私の友だちで、清和会の心棒です」と私を紹介なさいました。法要後、私は秋田夫人の車で青山の墓地にゆきました。
凶殺された井上、浜口、両家の墓所に近く、
犬養家の新しい墓地には、伊豆小松石の美事な墓石に「犬養毅」、その裏には「備中庭瀬の人」とだけが彫られてありました。
簡素な木堂先生の御人柄にふさわしいお墓だと、お見上げしている中に、泪が流れそうになりました。

御影石で燈篭形の「名刺受」を、清和会として墓所の片隅に供へたのであります。

私は墓前去りがたく、犬養先生、この偉大な”婦人に対する良き理解者”を喪っては、婦人の参政権を得べき日本婦人は、当分政治的進出は不可能であることを思ひ、全日本婦人解放の為に深く悲しんだのであります。

 

やまとなでしこ

 

   御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。