十六年六月三日、犬養千代子刀自の喜寿のお祝いとして、清和会より飾棚(柿の赤実)をお届しました。(金百四十五円二十銭)
十七年四月八日、仲子夫人が前夜電話をかけてこられて、相談したい事が出来たから、朝からぜひ来てほしいと申されました。

 何事かと、四谷の犬養邸にゆきましたところ、奥の室で仲子夫人から「家宅捜査をうけたのでは、当分帰宅はむづかしいでしょう」と、健氏の身辺につき、重大な話を聞きました。私は仲子夫人に、留守宅を守る心かまえなどについて、中食後も。道子サンと三人で三時まで話合いました。


七月十九日、注文しておゐた、うなぎの蒲焼の折を持って、四谷の犬養邸にゆきました。それは四月四日以来、七月十日まで未決に入ってをられました健氏が、保釈出所されたので、慰問のうなぎをお届けしたのでした。


健氏は顔色もよく、肥られたようで安心いたしました。それに仲子夫人の相談相手のお嬉しそうな御様子で、食事を共にして辞去しました。
三ヶ月ほどの間も、電話やまた四谷の邸へ出向いたりして、仲子夫人の相談相手にいくらかでもなれたと自分なりに満足でした。


十八年五月十五日、若宮、森の両夫人と共に青山墓地と。麻布の未亡人宅に行きました。
十九年五月十四日、十三回忌法要が、上野津梁院でありまして、鳩山夫人と共に参列いたしました。

そのあと、南町の犬養邸で御供養の中食をいただきました。
戦時体制もきびしくなりまして、疎開の話しなど、お互の無事を念じあいました。

御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。