戦後しばらくは、お互いに自分たちの生活の建て直しに忙しくしてをりました。麻布の別宅が戦災で焼失しましたので、未亡人は四谷の本邸に移ってをられましたので、二十五年頃からは時をりお訪ねすることもありました。
本宅の二階にをられました神父様の教導で、カトリック教の洗礼を、未亡人がうけられたといふ噂をききました。
未亡人とお親しくしてをられた人たちは、信じられないと云ふことでした。

昔のように簡単にお逢い出来ないのでした。
若宮夫人は何度か、「ご気分がすぐれになりません」とか、「今日は御都合がわるいので」とか、お断りをされたと、私に不満気に申されました。
私も何度か行きましたが、若宮夫人と同じでした。


未亡人のお気持ちからお断りになるのではなく、仲子夫人が未亡人に逢はせなさらないのだと、云ふ人もありました。昔から親しい夫人たちも、私にしても、未亡人の晩年の御生活はよくわかりませんでした。

昔から感情的になりやすいお方でありましたし、好き嫌いも強く、せっかく来訪された方に、お断りしなければならない、間に立った私などつらい思いをしたこともありました。

晩年、昔の人たちに対して未亡人の面会謝絶は、御本人のお気持であったと思います。

御後へ紡いでまいります・・・

※ 原文のままの文字使いを使用しています。