~龢【和】を尊ぶ心を育み、世界へ繋げる~
活動報告

歴史を支えた“やまとなでしこ”

大命降下 (2)

夫人の居間に入られました新首相と、千代子夫人の真中に愛孫道子サンが、可愛い眼を輝かせて座られ、私と仲子若夫人が、新首相の左右の肩越しに、左記の夫人たちと共に、新聞社のフラッシュをあびました。 そしてシャンパンで乾盃でした …

大命降下 (1)

昭和六年十二月二日(土)犬養邸には、政友会の党員が大勢きてをり、各新聞社が、直電電話線を、広い庭に掛けめぐらしてゐました。邸内は人ばかりが、ただ動きまはるだけの、あわただしいことでした。 西園寺公が、参内されましても、な …

西洋果樹の渡来

西洋果樹の渡来 「りんご」は文久年間に福井の藩主が米國より苗木を輸入したのが創始だ。 今でこそ、「りんご」は「林檎」と一般に書いてゐるが、古い文献を見ると、みんな「苹果」といふ文字を使っている。 『苹果元和産なし、西洋名 …

石黒露雄という人 夏のコラムより

〜西瓜〜 こうやつて西瓜をたべるのがうまいかつてきかれると、結局いい西瓜を丸ごと思つきり冷やしたのをカブリつくのが一番だと云ひたいのです。 いや、切つちやいけない、割つてたべるのがいいなんんてよく云ひますが、それは鮨の立 …

石黒露雄という人

宮内省御用達でもある銀座の千疋屋さんのコラムを書かれていた方。 素敵な挿絵は時には竹久夢二だったりする。 あの当時ハイカラな果物は高価で貴重なものでしたし。口にできない方でもその表現を通して、疑似体験出来る素敵なコラムで …

塩原静スタイル (六)

よく役者が舞台で汗はかゝないが、楽屋へ入つた時瀧のやうに出るといふ話をきゝますが、緊張してやればやはり其通りでせう。 臺子の前でお點前をしてゐる時 は心頭滅却すれば何とかやらで、今でもこの時の修業が身について、きちんとし …

塩原静スタイル (四)

~コラムより抜粋~ 手拭ゆかた 露 地に持ち出す涼台では、よく手拭ゆかたをきてゐた。もらい手拭をつなぎ合わせた浴衣で榮屋・酒屋・炭屋など、屋号の入った野暮な手拭の繋ぎ合わせだから、 手拭ゆかたは、貧乏くさいと、きらはれた …

塩原静スタイル (三)

  彼女のスタイルの中でも、家庭での子どもの教育、離婚問題、女性として、母としての日本女性へのメッセージが多く見られます。勿論政治色の強いものもあります。 それは長きに渡り、調停委員として家庭というものを見てき …

塩原静スタイル (二)

~コラム抜粋~ ”明るい生活”より 増産と貯蓄への強化も各人が心身共に眞に健康でなければ、遂行できるものではありません。明るい生活をするもの、それは何の争ひもない円満な家庭生活を営み、職場に封して熱意を傾けられる忠寛な人 …

塩原静スタイル

大正13年に入会した婦人参政権獲得期成同盟では、議会運動部の若き委員長として、大正15年から5年間にわたり活躍した。 同盟退会後は、社会人としての自立を目指し明治大学に入学。法律を学ぶ一方で、犬養毅夫人千代子を会長に、生 …

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