~龢【和】を尊ぶ心を育み、世界へ繋げる~
活動報告

歴史を支えた“やまとなでしこ”

新盆

六月十八日の五七回忌。 七月二日の七七日忌(四十九日)の法要にも参列しました。 七月六日午後九時四十五分発の汽車で、故犬養首相の呉分骨を健氏が奉持されて、郷里岡山に出発されますのを、東京駅に鳩山夫人その他大勢の人々と共に …

5月15日以降 (4)

半年後、私邸を出て首相官邸に移られるときは、二,三年は犬養内閣はつづくものと、思ってをられたのでありましょう千代子夫人の胸中を想いますと、働きながらお互い泪ぐんでをりました 夕方までには無事に引移られました。四谷の犬養邸 …

十五日以降

昭和七年五月十六日午前二時すぎ、首相公邸を若宮貞夫夫人と共に辞去しました。 真夜中の街は、さぞうす暗いもののように思ってをりました私は、街頭のあかるさにおどろきながら車で帰宅いたしました。 … 張りつめていた …

5月15日以降 (3) -思い出多い首相官邸の庭-

聖上、皇后、皇太后、各宮家の榊、供物と各氏よりの幾百個の生花、花輪が列び、臣民としては最高最大の天台宗に依る葬儀は、勅使の御代香、各宮家の御代香、高橋是清首相以下各大臣朝野の各士の焼香、清和会を代表して私の他六名が特に参 …

5月15日 (8) -切り下げの喪服姿-

「おかあ様をひおひとりにしてはいけないわ。誰かおそばにおつきしてゐて下さい」と仲子若夫人はそう云って、私と顔を見合わせました。 「お気をつけた方がよろしいわ」と小声で私が云ひますと、仲子夫人は深くうなずづいて、台所の方へ …

十五日以降 (2) -白いカーネーションを一輪-

次ぎ次ぎとこられます弔問者の応接で、私はほどんどお居間を出られませんでした。木堂先生(犬養氏)の御遺骸のそばに、長く居られます御縁の深さを喜びました。 夕方やっと帰宅して、入浴後一眠りしました。喪服に改めまして、公邸にゆ …

5月15日 (7) -人は自らの死に所を悟らねばならぬ-

「ええ、大丈夫です」と力を込めて私が云ひましても、すぐまた聞かれ、三分おきぐらいに、同じ言葉をくり返します。 「大丈夫?」「大丈夫」と互にくり返してゐます中に、私は段々と不安になってじまして、病室のざはめきが気になりまし …

5月15日 (6) -ね、おぢいさまは大丈夫なの-

ハッとして、仲子若夫人とお互の眼を見詰め合ひ私はうなづきました。 通用門を出ますと、ドッと新聞記者たちにとりまかれました。口々に容態を聞かれましたが「おちついてをられます」とくり返しながら、人々を分けて、向側の秘書官邸の …

5月15日 (5) -私のところへ行って、道子と康彦をつれてきて下さい-

「これはいけない」と」医師の一人に云はれましたので、ハッとしました。仲子若夫人と一生懸命にとかした支那の薬の水が、かへって悪かったように不安になりました。 それから首相は吐き気がつき、安静でありましたのが、少しづつ悪い方 …

5月15日 (4) -この薬をつぶして下さいー

「宮崎さんは、風呂から出たばかりで、ピストルは机の引き出しに入れてあって、役に立たなかったと云ひます。休日で秘書官は一人も居なくて、仲子夫人と三人の女中さんだけでした」。 私は森夫人と話合ったことを、太田夫人に車の中で話 …

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